理事長就任のごあいさつ
沖縄県内離島の内、高校未設置の25島の離島の子は、中学卒業後、「十五の春」に進学のため、志を立て生まれ島を旅立ちます。親元から通学する学生に比べ、否応無く島を出る彼らは、様々なハンディキャップを負いながらも必死に学び続けています。
一般社団法人おきなわ離島応援団は、そのような子供達を支援し、応援し続ける組織です。
私も50数年前、「十五の春」を体験した一人であり、会の設立趣旨に賛同し、2012年からの二年間、東京渋谷の「ダ・ヴィンチ展」や長野県への「ゆきはるツアー」など子供達の引率のお手伝いをして参りました。そのような経緯から今井恒子前理事長から推薦を受け、微力ながら理事長職を引き受けることになりました。
離島の子は純真無垢、素直な性格で、将来有望な子が多くいます。そのような子供達が少しでも安心して学業に励めるよう応援をして行くのが、『一般社団法人おきなわ離島応援団』の役目だと心得、役職を努めてまいります。
2014年5月10日
一般社団法人おきなわ離島応援団 理事長 山城東雄(やましろ あずまお)
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北大東島「金刀毘羅宮祭」にて 島民のおしゃれなバイクをお借りして… |
北大東島という離島があって、その島が素晴らしいんです。
那覇から東に362㎞、プロペラ機も1日1便だけ。
1周が13.2㎞の小さな島で、そこに500人くらいの人が住んでいるんです。
その島の住人たちの何がすごいって、もう五感が素晴らしい。
耐える力もすごいし、来た人を迎え入れるおおらかさもすごい。
特に我慢強さが、尋常じゃないんです。
最小の結果しか出なくても、最大の努力を続けられる。感性が全然違うんです。
山も川もなくて、港もなくて、もちろん本屋なんてものもありません。
1年に1回だけ那覇から本屋さんがやってきて、学校の体育館に本を並べてね。
そこに子供たちは、親のお手伝いをして必死で貯めたお小遣いを、ぎゅっと握りしめてやってくるんですよ。しかも上下巻ある本の、上巻だけを買って嬉しそうにしてね。
東京では、親が下巻を買ってあげたり、下巻が欲しいってダダをこねたりするじゃないですか。
でもね、その島の子は、下巻を買うお金がなければ我慢するんです。
子供たちがインタビューされる場面を見る機会があったのですが、ある子に「下巻読みたいよね?」と聞くと「読みたい」と答える。「どうするの?」「待つ」「でも来年になるよ?」「来年来てくれるのなら待つ」。
このスパンで生活している人たちがいるんですよ。
不便で不足していると、そこで住んでいる人たちの感性はピカピカになる。
でも、そういう生活を都会でできるかというと、もうそれはできにくい時代にあるんですよね。
だからこそ、意識的に自分で五感を磨くしかない。
私は先日「ホスピタリティのガラパゴス島―頑張れ、北大東島」という講演を行ったんですよ。
北大東島は、日本人の一番いいものがそのまま残っている数少ない島なんです。
あの島を訪れると、自分の中で忘れていた感性が呼び覚まされるような気がするんですよ。
一般社団法人おきなわ離島応援団 理事 高野登
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北大東島の天然海水プール名前はなぜか「沖縄海」空気が美味しい! |
1983(昭和58年)広大な空地に囲まれた当時の東京の有明埠頭から琉球海運の「さんしゃいんおきなわ」に乗船し50時間の船旅をしたことがまるで昨日の様に思い出される。
初日の宿は前島の「伊江村農協会館」
翌日「渡嘉敷島」に渡ったのが「おきなわ離島応援団」の始まり。
出版社の学生アルバイトの身分で、経費を切り詰めるために思いついたアイディアが「素泊まり」のはずなのに、季節外れの客を気持ちよく迎えた民宿の女将は、なぜか夕食と朝食を用意していた。
しかたなく二食分の料金3,500円を差し出す20歳の食べざかりに・・・
優しい笑顔でひとこと「にいさんは素泊まりだから2,000円」・・・
あの時ほど強烈に、「人を疑う恥ずかしさ」と「旅先で出逢う温かさ」が入り混じった複雑な感情の起伏は、未だに記憶にない・・・
天国の玉城(たまき)さん、本当にありがとうございました!
20歳の食べざかりは、いまでも食欲旺盛で今年50歳になります。
「人(食べ物)の御恩は忘れない」人間で有り続けたいと心から願っている。
一般社団法人おきなわ離島応援団 理事 シャチごん♪白仁昇